「オジサン」は皆いい人なのか?
 健太

●「ほぼよろ」の公演が終わってもう半月以上になるんだねェ。観てくれた人本当にありがとう!
●正直言って、どんな芝居になるのやら直前までまったくわからずジタバタしまくっていたので、予想外の反応と手ごたえにちょっとめんくらった。(中でも比較的年齢の高目の人に評判が良く、若い人にはどこか「もの足りなさ」を感じる人が多かったようだ。)そのあたりのことは打ち上げで話したりして、少しづつ落ち着いて考えられるようになってきた。
●そして、気が付いた事が「登場人物たちがこれほどまでに皆仲よしで、いい人ばかりだったことは、どくんごの芝居にはなかったんじゃないか?」という事。“良くも悪くも”このことは「ほぼよろ」のどくんごの芝居における最大の特徴なんじゃないかと思う。
●人物どうしの関係が並列で、ダンスや語りや劇中劇などチームワークがもとめられるシーンが多いという構成は、確かに登場人物どうしのキビシイ人間関係を形づくるのには少々不向きではあったろう。が、ここはひとつそういう芝居になった原因(あるいは結果か?)として「オジサンキャラ」にスポットを当ててみたい。当ててみる。
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●『ノンノット』『踊ろうぜ』と2回のツアーをまたいで育っていった私の「女の子のかっこうをさせられている男の子」キャラは、自他共に認める(?)役者健太の自己ベストなのだが、実は『踊ろうぜ』を旅している頃から「中年の男性という、自分に近い設定で、一見特に作っていないようにも見えながら実は、だからこそ逆にじっくり作り込んだキャラクター」を、「女の子キャラ」の対局として作ってみたいというような事をチラホラ考えていた。台本がまだ一行もない昨年の11月、「そこつ長屋」という落語を手がかりにしながら「オジサンキャラ」を作るけい古をはじめた。行きだおれの死体を自分だと思い込むそそっかしい男の話だ。だから、少くとも私にとっては、今回の芝居「ほぼよろ」は、まさにこの「ふとっちょのオジサン」からはじまったわけだ!!
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●女優2人も含めた4人全員が「ふとっちょのオジサン」になったのは今年4月になってからで、はじめは衣しょうをそろえようという発想からだった。そして結果的にはこの衣しょうが女優2人がのびのびした(?)新境地を開くきっかけになったと思うし、芝居の印象の大きな部分を作っていくことになった。コミカルな感じとかね。
●一方で私はと言えば「しっくり」くる体感をつかまえるのにめちゃめちゃ手間どった。手間どって四苦八苦して何とか本番に間に合ったキャラクターは、「やっぱり健ちゃんぽいね」と言われるほどに外見こそちがうものの「女の子キャラ」の対局と言うよりはB面のようなものに落ちついたのかも知れない。(キャラクターを作るって言ったって私自身の体とクセと気持ちを引きずってるんだから、小手先だけじゃないリアリティーのあるものを求めて行けば似てくるのは当り前じゃ!…と開き直ってみる。)
●にもかかわらず、やっぱり「女の子」と「オジサン」のちがいは明確にあったのだなァということに最近気づいた。ということを書こうと思っていたのに前置きが長くなった。(って言うか前置きの方が実際、長い。)
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●今回、「泣けた」という感想が多かった。「そこつ長屋」のシーンについては特に何人もの人にそう言われた。これはたぶん私にとって新しい経験だ。「女の子キャラ」では出来なかった事だと思う。
●「女の子キャラ」の基本は、おさなさと純粋さと弱さと、その弱さを逆に武器にした時のズルさ、強さなのだが最も表現したかったのは無意識に、あるいは意識的に他人をキズつけていく残酷さの部分だったりする。自分の中にもあるその残酷さ、イヤらしさを形を変えてはき出したかった、示したかった。まさにそれに適したキャラクターと言えると思っている。そういう何重にもなったドロドロを、キリッとスパッと気付かれないほどあっさりと込められる感じがあるんだわ。あのキャラには、まだまだいろいろ可能性があると思う。
●ところが、「オジサン」ではそれはできない。いや、できなくは無いんだろうけど「オジサン」でそういうダークな部分を出そうとすると「悪役」化してしまう危険がある。今回は、子供っぽい「オジサン」だったから、「女の子キャラ」と同様純粋さとか弱さはあったのだが、それはけなげでほほえましいのに(じつは大人だから)なさけなくて、もどかしい。そしてそれが行きつく先にあるのが切なさとかかなしみだったのではないかな。そういう物がギューッと集中した結果、「そこつ長屋」で「泣け」るということにつながったんだろうと思う。そのことは、さっきも書いたけど私にとって新しいし、「女の子キャラ」ではできないかも知れない事だし、ほめことばとしてスナオに喜んどいてもいいとは思っている。
●でもやっぱりちょっと私も「もの足りなさ」があることにはある。切ない、かなしいの先に、奥にある「痛み」にまで迫りたいよなあ。そういう芝居がしたいよなあ。「いい人」の「いい話」はやっぱり橋田ファミリーにおまかせしといてもいいよなあ。と、そんなふうにも思う。
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●「そこつ長屋」シーンの一番最後にした“土下座”。あれ、今回私の本当、唯一最大の「悪意」を持った演技だったんだけど、…。考えてみれば何に対する「悪意」だったんだろう。

    P.S. ネタばらし、しすぎたかなァ?
    2003.7.7 スリムなったオジサン
    (了)